西郊民俗談話会 

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連載 江戸東京歳時記をたずねて  10
   2021年1月号
長沢 利明
東京の季節市とボロ市
 web上で表現できない文字は?となっております
 東京都内で見られるさまざまな季節市は、どれもこれもとても特色があるものが多く、大都会ゆえに人出も非常に多くて大変なにぎわいを見せ、今なおまことに盛況に開催されていて、季節の風物詩ともなっている。四季の折々にそれらをたずね、ひやかし歩いてみるだけでも実に楽しいもので、何とも心がはなやぐし、もうそんな時分になったのだなと、私たちに季節のおとずれを実感させてくれもする。これほど多くの季節市のある都市は、東京以外には見られないであろう。そこで、この東京の季節市にどのようなものがあるのかを、少し眺めていってみることにしたいが、その前に、少しでもそれを学問的に体系づけてみるために、市そのものの分類ということを、まず最初にやってみておいてもよいであろう。
市の分類というのは、実はなかなか難しい作業である。なぜそうかといえば、それぞれの違いをきちんと色分けて線引きをおこない、整理してみようとしても、簡単にそこに線が引けないからである。対象そのものが、きわめて多様で多元的であるから、そうなのであって、それがまた市というものの魅力でもあるといえる。そこで、ひとつの作業仮説として、Aその市の立つ時、Bその場所、Cそこでの売物という三つの側面から、それを見ていってみよう。この三つはいわば、市のTPOということでもあろう。
まずはそのAの中を、さらに細分してみなければならないが、北見俊夫氏がそれを縁日市・斎市・日市・大市に4分類しておられるので[北見,1970:pp.48-49]、これにならいつつ、もう少しわかりやすい言い方にそれを置き替えて、ここではこれを@「縁日市」・A「定期市」・B「毎日市」・C「季節市」としてみることにしよう。Bについては、市立(いちだて)の場所による分類なので、寺社の門前に立つ@「門前市」と、その他の決まった場所に立つA「市場市」とに分けてみよう。市場市というのは変な呼び方ではあるけれども、便宜的な言い方である。英語でいうところのMarketplaceがこれで、それが恒久的な市場やヤミ市、商店街などに発展していった例も多い。Cについては、そこでの主たる売物による分類なので、米市・炭市・魚市・繭市・雛市・植木市といった具合に、それこそ数限りなくいろいろな種類の市がそこに含まれる。しかし、この筆者は東京という土地柄の特性に合わせつつ、あえてこれを@際物(きわもの)市・A生活雑貨市の二分野に、分けてみたいと思う。前者は縁起物市といってもよく、雛人形や羽子板、酉の市の熊手、盆用品などの季節的な商品を売るのであるが、後者の場合はそうでなく、米・炭・古着などの生活必需品を売るのである。
次に、市の分類をもう少し具体化させて見ていってみよう。まずはA@型の「縁日市」であるが、寺社の定まった縁日に境内や参道沿いに露店が立ち並ぶもので、B@型の「門前市」とも重なることとなる。寺社の縁日は正確には有縁日(うえんにち)といい、個々の寺社に祀られた祭神に詣で、本尊に結縁すれば御利益絶大とされた日であって、寺社ではもちろんその日に祭礼や法会がいとなまれる。その日取りは祭神・本尊仏ごとに定められていて、たとえば毎月5日は水天宮と毘沙門天の縁日とされており、中央区日本橋蠣殻町の水天宮や新宿区神楽坂の毘沙門天(善国寺)の市が立つ。8日と12日は薬師如来、10日は金毘羅、13日は祖師(日蓮聖人)の縁日で、それらを祀る寺社で門前市が立った。18日は観音の縁日であるから、台東区浅草の浅草寺が、今でも大変ににぎわう。21日は弘法大師、24日は地蔵菩薩の縁日で、その後者は豊島区巣鴨のとげぬき地蔵の縁日市が何といっても有名であり、「お婆ちゃんの原宿」と呼ばれるほどの人混みとなる。28日は不動明王の縁日と決まっていた。かつての東京市中には毎日のように、これらの縁日市が立っていたもので、坪内逍遥の『当世書生気質』にも、次のように述べられている。
げに東京に市街(まち)に限りて、あきるヽまでに数多きは、彼の縁日とかいふものなりかし。今晩(こよい)は稲荷、明日は天神、またその次は琴平などと、のべつに縁日のみ引続きて、ほとほと三百六十余日、縁日のならざる日は稀れなり[坪内,1937:pp.167-168・森,1969:p.130]。
これらの縁日市は基本的に、年に12回おこなわれることとなるが、特に1月のそれを初薬師・初不動などといい、12月を納めの薬師などと呼んで、ひときわの盛況さを見せてもいた。一方、それとは別に、十二支で決められる縁日というものもまたあって、子の日の大黒天、巳の日の弁天、寅の日の毘沙門天、戌の日の水天宮といった具合である。時には十干十二支の組み合わせで決まる縁日というものもあり、庚申(かのえさる)日の庚申や帝釈天、甲子(きのえね)日の大黒天、己巳(つちのとみ)日の弁天といった具合であるが、これらの場合、60日に一度のペースで縁日市が立つということになるのである[長沢,2009a:p.100]。
次のAA型の「定期市」は、定期的に開催される市ということであるが、多くの場合は月々の六斎日(ろくさいび)に市が立つので、要するに月に6度の市が立つ「六斎市(ろくさいいち)」の形が取られていた。たとえば八王子の市は「四・八の市」で、4の日と8の日、すなわち毎月4日・8日・14日・18日・24日・28日が市日(いちび)と決まっていた。現在のあきる野市の旧五日市宿では、その名の通り「五・十の市」が立ち、5日・10日・15日・20日・25日・晦日の、月に6度の市であったと、1716年(享保元年)の村明細帳にも出ている[高橋,1972:p.98]。最後の1回が晦日となっている理由は、旧暦時代には30日という日が毎月あるとは限らず、小の月にあたる場合もあったため、晦日としたのである。五日市の地名は天正年間(1573〜1591年)の記録にすでに見えるといい、市の歴史は思いのほか古くにさかのぼるらしいが、五の日の市立が地名の起源となったということはいうまでもない。全国各地に見る四日市・八日市場・十日町などの地名と、それはまったく同じである。かの世田谷区世田谷のボロ市もまた、当初は「一・六の市」の六斎市であったわけで、毎月1日・6日・11日・16日・21日・26日を市立の日として許可すると記した北条氏時代の、1578年(天正6年)の古い掟書も残されていたのであった[長沢,2008:pp.375-376]。
一方、その次のAB型に属する毎日市の場合は、毎日の市が立つ形をいい、有名な石川県輪島市の朝市などがその好例となるが、現在の東京都内にはこれにあたるものはないであろう。台湾の農村部では朝市・夕市の区別があって、その後者を夕市とはいわず、黄昏市などと称しているのがおもしろい。高知県高知市などでは、水曜市・木曜市・日曜市などといった具合に、毎週定まった曜日の日に開かれる市があったといい、この場合は「毎週市」となることであろうが、新しい時代に始まったものであろうといわれている[最上,1983:p.177]。
最後のAC型の「季節市」は、特定の季節に開催され、主たる売物がほぼ統一された専門的な大市であって、もっとも東京らしい市であるともいえよう。その多くは江戸東京が発祥の地なのであって、他地方には例を見ないものであるために、内外の観光客も多くおとずれて、大盛況となっている。それらはまた、古きよき江戸の下町の風情を伝えるものであるともいわれてきたのであるが、近代期以降に始まったものも結構ある。基本的に年に一度しか開催されない市であるが、多くの場合、寺社の門前や境内に市が立つので、B@型とも重なる。そこに寺社への信仰的側面との関連が出てくるわけであるが、市の持つ宗教性ということは、よくいわれてきた問題でもあった。「市には何か神聖なものがみちみちているように信ぜられていた」という指摘は確かなことであって[同:p.182]、寺社の祭礼市で求めてきた商品には神や仏の霊力が込められており、強い御利益が感じられたことでもあったろう。それゆえ、市立の場に寺社がない場合には、市神・市姫などが祀られてきたのである[同:p.181・小寺,1959:pp.378-379・北見,1976:pp.244-249]。
この東京を代表する季節市には、具体的にどのようなものがあるであろうか。そのおもなものを年の初めから順に、ざっと見ていってみれば、以下の通りである(写真104〜119)。

 写真104 世田谷のボロ市(東京都世田谷区) 
 写真105 王子の凧市(東京都北区王子稲荷) 
 写真106 ダルマ市(東京都調布市深大寺) 
 写真107 鯉のぼり市(東京都港区覚林寺) 
 写真108 菖蒲市(東京都港区覚林寺) 
 写真109 お富士さんの植木市(東京都台東区浅間神社) 
 写真110 朝顔市(東京都台東区入谷) 
 写真111 ホオズキ市(東京都台東区浅草寺) 
 写真112 草市(東京都中央区人形町) 
 写真113 すもも市(東京都府中市大国魂神社) 
 写真114 生姜市(東京都港区芝神明宮) 
 写真115 べったら市(東京都中央区) 
 写真116 酉の市(東京都目黒区大鳥神社) 
 写真117 羽子板市(東京都台東区浅草) 
 写真118 ガサ市(東京都台東区浅草) 
 写真119 晦日市(東京都府中市大国魂神社) 

 
 
 
 まず1月の季節市としては、寺社への初詣客向けに立った門前の正月市があげられるけれども、今なおもっとも盛況なのは先述の、1月15日におこなわれる世田谷区の「世田谷のボロ市」であろう。このボロ市は前に述べた通り、大昔は六斎市であったが、しだいに年末市へと転化していき、明治の改暦後は1月にも開催されるようになった[長沢,2008:p.385]。現在の世田谷のボロ市は、1月と12月の年2回おこなわれているのである。2月に入ると例年の初午日に、北区王子の王子稲荷神社で「王子の凧市」がおこなわれる。大きなものから小さなものまで、さまざまな種類の凧が売られているが、もっとも多いのは小型の奴凧である。空に揚げることもできるけれども、本来それは実用的なものではなく、火伏せ祈願のための縁起物の凧なのであった[長沢,2006b:pp.1-8]。3月になると調布市の深大寺で「ダルマ市」がおこなわれる。ダルマ市は通常、年頭に立つものであって、日野市の高幡不動や昭島市の拝島不動のそれが有名であるが[長沢,2006a:pp.1-8]、深大寺の場合、古くから3月3日〜4日(現在では3月第一土・日曜日)におこなわれることになっており、都内最後のダルマ市といわれている[長沢,2007:pp.1-11]。3月の雛祭りの直前にはかつて、中央区日本橋で雛人形を売る市が立ち、「十軒店の雛市」として知られていたものの、明治時代の節供廃止令によって廃れてしまった[長沢,2005a:pp.1-8]。
初夏の5月4日〜5日には、港区の覚林寺で清正公大祭が挙行されるが、境内には紙製の鯉のぼりを売る露店が以前は立ち並んだもので[長沢,1999:pp.98-100]、「鯉のぼり市」と呼ばれていたし、五月節供の菖蒲湯に用いられる菖蒲を売る店も出て、そちらは「菖蒲市」と呼ばれたのである。6月の富士山の山開きを祝う台東区浅草の浅間神社の大祭には(6月30日〜7月2日)、神社の周辺で植木市が立ち[長沢,1999:pp.128-132;2005b:pp.1-10]、俗に「お富士さんの植木市」と呼ばれている。7月に入ると、台東区の「朝顔市」・「ホオズキ市」が開催され[長沢,2006c:pp.1-10;2010:pp.1-18]、大変有名な行事となっているが、前者は入谷鬼子母神(真源寺)で同月6日〜8日に、後者は浅草寺境内で同月9日〜10日におこなわれる。東京都心部では新7月の盂蘭盆が普通なので、その直前には盆用品類を売る市が中央区人形町・月島などで立ち[長沢,1999:pp.169-176;2004a:pp.1-5]、俗にこれを「草市」と称している。さらに7月20日には府中市の大國魂神社で「すもも市」が立ち、縁起物の烏団扇が授与されることでも知られている。9月ともなれば新ショウガの出回る頃で、各地の神社の秋祭りでそれが売られ、「ショウガ市」と呼ばれていたが[長沢,2006d:pp.1-9]、もっとも有名なのは港区の芝大神宮のそれであろう。9月11日〜21日にそれがおこなわれている。10月の20日はエビス・大黒の祭日で、商家ではエビス講の祝いがなされるが、それがための供物を売る市が発展して、浅漬け大根のベッタラ漬けを売る市となり、中央区大伝馬町でそれがおこなわれるようになった[長沢,1989:pp.103-136;2002:pp.1-4]。それが「ベッタラ市」というものである。
11月ともなれば酉の日に「酉の市」が立ち、縁起物の熊手が売られたが、商売繁盛の祈願を込めて商家などがそれを求めていく。酉の日が3度あれば3度の市が立ち、台東区の鷲神社、新宿区の花園神社、目黒区の大鳥神社などのそれがことに有名であるけれども、その発祥の地とされるのが足立区の鷲神社の市で、「花畑の酉の市」と呼ばれている[長沢,2004b:pp.1-7;2006e:pp.1-10;2009b:pp.14-28]。師走の12月にもいろいろな年末市が立ち、主として正月用品などを売ったので、これを年(歳)の市と呼んでいたが[長沢,2004c:pp.1-7]、台東区浅草寺の「羽子板市」や「ガサ市」はそれが発展したものである。羽子板市は初正月を迎えた女児に贈るための押絵羽子板を売る市[長沢,2003:pp.1-6]、ガサ市は正月の飾り物の製造元である仕事師(鳶職人)らにその材料を売るための卸市であった。世田谷や関のボロ市もその頃に開催されるが[長沢,2017:pp.1-15]、府中市の大國魂神社で大晦日におこなわれる「晦日市」は年内最後の市で[長沢,2006f:pp.1-9]、農機具や神具などがおもに売られていた。
 現在、東京都内でおこなわれている季節市は、おおよそ以上の通りであったが、冒頭で触れた市の分類という観点から、もう一度これらをとらえ直していってみると、どうなるであろうか。たとえば、市立の場所にもとづくBの分類にこれらをあてはめてみると、これら季節市のほとんどはB@型の「門前市」とも重なっており、BA型の「市場市」に相当するものは、旧代官屋敷の前に立つ世田谷のボロ市と、市街地内で開催される人形町や月島の草市ぐらいのもので、あまり多くはない。さらに、市の売物に関するCの分類にこれらをあてはめてみるならば、ほとんどの季節市はC@型の「際物市」に分類されるのであって、凧・ダルマ・雛人形・鯉のぼり・菖蒲・盆用品・熊手・羽子板などの縁起物類の販売に特化したものとなっており、CA型の生活雑貨市にあたるものは、現在ではほとんど見られない。C@型の市で売られる商品は実は、消費者が別段それを買わなくとも生きていけないということはない、というものばかりである。それに対し、CA型の市の売物はそうではなく、それなくしては生きていけない生活必需品を売るのであって、日常生活に深く密着した市なのであるが、恒久的な店舗と商店街とが充分に整った大都会にあっては、いまやその存在理由が失われ、ほとんど消え去ろうとしているのである。すなわち、いかにも東京らしい大規模な季節市は現在、AC型・B@型・C@型の特色を帯びつつ、そのほとんどが寺社の門前に立つ縁起物市としての共通性を持っていて、寺社への参詣とも結びつきながら、観光行事化しつつあるということが指摘されることとなろう。
一方、消費者の日常生活に深く密着した非観光的な生活必需品市は、すでに過去のものとなりつつあり、いまやほとんどそれを見ることはできなくなってしまったのであるが、ある意味ではそれこそが本当の季節市なのだといえるのであって、そこにこそ私たちが庶民生活の実態をうかがい知るための場が残されているのではないであろうか。したがって、かつての農民市や都市生活者向けの雑貨市の面影を今なお色濃く残す、そうした前近代的な市というものの姿を、今私たちがのぞいてみようと思った時、注目すべきは郊外のボロ市であろうと思われるのである。
ボロ市とは古着市・古道具市のことであって、悪くいうならばガラクタ市ということになろう。世田谷・葛西・関の三大ボロ市がよく知られているものの、世田谷のそれはいまや骨董品市となりつつあり、観光化の傾向も顕著で、かつての庶民市・農民市としての性格はすでに失われてしまっている。今なおかつての姿を残すボロ市を見てみようとするなら、練馬区の「関のボロ市」をたずねるほかはないであろう(写真120〜127)。

 写真120 1984年の関のボロ市@(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真121 1984年の関のボロ市A(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真122 1984年の関のボロ市B(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真123 2004年の関のボロ市@(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真124 2004年の関のボロ市A(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真125 2002年の関のボロ市(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真126 2006年の関のボロ市@(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真127 2006年の関のボロ市A(練馬区区民情報ひろば提供)
 

 もちろん、この関のボロ市にしたところで、時代の変化の趨勢にはさからえず、今では子供相手の露店や食べ物屋などの出店が主流で、どこででも見られる縁日市と変わらぬものになりつつある傾向は否定できない。とはいえ、古着屋や古道具屋は今でもそこに出ており、今なおその独特な雰囲気は失われてはいないので、東京都内の季節市としては、まことに稀有な存在となっているし、このような市はほかに見られない。そこで、これについて最後に少々触れておくことにしよう。
関のボロ市は、東京都練馬区関町4-16-3にある法耀山本立寺という寺院の門前で、毎年12月9〜10日に開催される季節市である。本立寺は日蓮宗の寺院で、本尊の日蓮聖人像は「旭日蓮大菩薩」と呼ばれ、出世・開運の祖師として深く信仰されてきた[練馬区教育委員会(編),1972:p.22]。本立寺でこの両日におこなわれる御会式(おえしき)行事に合わせ、門前に市が立ったのがボロ市の起源なのであって、その始まりは宝暦年間(1751〜1763年)にさかのぼるといい、大浄敬順も『十方庵遊歴雑記』に、「豊島郡關村法耀山本立寺(日蓮)ハ、上にいふ小榑村妙福寺の末にて、毎年十月廿八日・廿九日市立ちて諸商人來り集ふ。壽福寺の市に髣髴たり。これみな會式の祭と聞ゆ」と述べている。これは1822年(文政5年)の記録であるから、関のボロ市の始まりは安政年間(1854〜1859年)であるとの俗説は[佐藤,1988:p.23]、もちろん誤りであることがわかる。
近世期の関のボロ市はこのように、10月28日〜29日に立っていたのであって、それがしだいに年末の方へ引き寄せられていき、年末市・歳の市と化していったのであろう。御会式というのはいうまでもなく、宗祖日蓮聖人の命日忌の法会であるから、聖人の命日である10月13日を中心に、各地の法華寺院の門前に信徒らが万灯行列を繰り出して、盛況な祭りがおこなわれていた。池上の本門寺、堀ノ内の妙法寺、柴又の題経寺などの御会式はことに有名であるが、練馬区内でも妙福寺や本立寺などの門前に御会式市が立ち、なかなかのにぎわいを見せていたことは、意外にもあまり知られていない。関町の場合は、その御会式市が年末市化して今も盛大になされているわけで、それは池上・堀ノ内・柴又でさえ見られなかったことなのである。1970年代から1980年頃にかけてのボロ市の様子を、次に引用してみよう(写真128〜134)。

 写真128 1955年の関のボロ市(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真129 1975年の関のボロ市@(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真130 1975年の関のボロ市A(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真131 1979年の関のボロ市(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真132 1985年の関のボロ市@(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真133 1985年の関のボロ市A(練馬区区民情報ひろば提供) 
 写真134 1985年の関のボロ市B(練馬区区民情報ひろば提供)
 

 


お会式の行事は特にないが、毎年十二月九日と十日のお会式の法要の日にあわせての「関のボロ市」は有名である。江戸時代、宝暦年間から始まったと伝えられている。近郷の農村生活の支えになっていた。戦前までの市はボロ等の衣類に限らず、鍬・鎌などの農具、ザル・桶・籠・臼などの生活用品が並べられていた。農家の人々はこの市に集まり一年間の用具を購入していたのである。その他、サーカス小屋、芝居小屋、オートバイの曲芸もみられ、大へんな賑いであったという。戦後数年でボロ市も復活し、戦前の名残りである竹製のザル、籠、鍬、鎌などが店頭に並んでいる。ボロ市は本立寺のお会式とは関係ないが、お会式に合わせた地域社会のコミュニケーションや娯楽的な色彩を感じさせる[練馬区教育委員会(編),1981:pp.46-47]。
この当時のボロ市は、まだ生活用品市そして農機具市としての様相を色濃く残しており、農民市・庶民市の姿をそのまま伝えていたともいえるが、サーカス・芝居小屋・オートバイの曲芸などの見世物まで出ていたとあって、それほど盛況なものであったことがわかり、今の姿からはとても想像がつかない。戦時中は一時中断していたともいうが、戦後すぐに復活して、刃物商や植木商など300軒もの出店が立ち並ぶまでになったともいう[練馬古文書研究会(編),2011:p.194]。嫁入りした花嫁が親に連れられて市にやってくるのも名物で、練馬区内の長命寺などで見られた嫁市・植木市などと同じ光景が見られたというのも、興味深いことである[練馬区教育委員会(編),1980:p.35]。地元の家々ではこれを「関の夜市」などと呼び、家ごとにけんちん汁や煮物を作って祝い、市の立つ2日目の12月10日には朝食に赤飯、昼食にウドン、夕食に白飯を炊いて食べるのがならわしであったともいう[練馬区教育委員会(編),1982:p.33]。
関のボロ市に関する近世〜近代期の記録はほとんど残されていないため、古い時代のことはよくわからないのであるが、明治時代の史料がごくわずかであるとはいえ、伝えられているので、以下にそれも紹介してみよう。
御届
一例年通来ル十二月九日・十日宗祖会式ニ付市興行仕候、若一日雨天ニ候ハ?順延仕度候間、檀中惣代連署ヲ以テ、此段御届申上候也。
明治卅六年十一月廿九日  豊島郡石神井村大字関 本立寺担人 
野田慈雄(印)・井口浅之助(印)・井口伝次郎(印)・井口角次郎(印)・井口鐐蔵(印)
板橋警察署長 御中[練馬区地域文化部文化・生涯学習課伝統文化係(編),2017:p.3]
これは1903年(明治36年)11月29日に、本立寺の檀家総代一同が板橋警察署長に届け出た書類で、例年通り来たる12月9〜10日にボロ市を開催したいが、もし雨天に見舞われた時には1日の順延をお願いしたいという内容になっている。市の開催権が檀信徒の手中にあったことがわかり、興味深い史料であろう。もう1点も次に掲げてみよう。
巡査方御出張願
北豊島郡関村六百三十四番地 本立境内明キ地
右者本月九日より同十五日迄角力興行之義、警視御本庁え願済相成候ニ付テハ、右日限中九日より十一日迄毎日午前九時より午後六時迄、同場為取締巡査方御両名御出張被成下度、此段奉願候也。但、保労金壱円五拾銭前納、雨天順延相願候也。
明治十八年十二月四日                右願人 井ノ口鎌三郎(印)
板橋警察署 御中[練馬区地域文化部文化・生涯学習課伝統文化係(編),2017:p.3]
こちらは1885年(明治18年)12月4日に、やはり本立寺の檀信徒から板橋警察署長に提出された願書であるが、ボロ市の開催期間中を含む12月9日〜15日に本立寺境内で相撲興業をおこないたい、雨天の場合は順延させていただきたい、興業は9日〜11日の午前9時〜午後6時までとさせていただきたい、派遣される巡査方には金1円50銭の謝礼金を支払うので前納させていただきたい、と述べられている。明治時代のボロ市には相撲興業までおこなわれていたことがわかり、当時の市の盛況ぶりがよくわかることであろう。
さて、この筆者が関のボロ市を見学したのは1989年のことで[長沢,2017:pp.1-15]、東京都内のどこの季節市にも見られない古きよき農民市の、いかにもひなびた垢抜けない、そしてあまりにも独特なその雰囲気というものが、強い印象となって心に残っている(写真135〜149)。

 写真135 門前の万灯 
 写真136 御会式の日の本立寺本堂 
 写真137 古物商の露店@ 
 写真138 古物商の露店A 
 写真139 鋸屋@ 
 写真140 鋸屋A 
 写真141 鋸屋B 
 写真142 農機具商@ 
 写真143 農機具商A 
 写真144 花屋 
 写真145 すりこぎ屋 
 写真146 雑貨・古着屋@ 
 写真147 雑貨・古着屋A 
 写真148 川魚屋@ 
 写真149 川魚屋A 
 


 テント屋根もない露天の広場に立ち並ぶ古着屋には、古くさい時代遅れのよれよれになったコートや背広、安物の化繊の和服や子供服などが積み上げられていた。古物商のゴザの上には、ヤカン・鍋・包丁・茶碗などの中古品が無造作に並べられ、正直にいえば、こんなガラクタを買っていく人など今時いるのだろうかとも感じられた。とはいえ、昭和時代戦前期の東京の郊外農村では、これらのものもそれなりに立派な商品となっていたのかも知れず、まさにこれこそがかつての生活雑貨市の本当の姿であったのであろう。こうした売物に比べれば、本立寺の参道に出ている農機具屋・鋸屋・竹籠屋などの売物は、新品であるだけにずっと立派なもののようにも見えた。ここでの市以外ではほとんど見ることのできない川魚屋・スリコギ屋などといったものの存在も大変珍しく、市に花を添えている。
ボロ市の場にあふれるこの独特な風情というものが、いつまで維持されていくかはわからない。どこにでも見られる子供相手の露天商なども、近年では増えてきているのは先述の通りである。おそらくは将来、市の場からいっさいのガラクタの類は消え失せていってしまうのであろうが、それはそれで淋しいことでもあろう。世の人々の環境意識がさらに高まり、使い捨て型の生活習慣をもっとあらためていって物を大切にし、資源再利用の精神がさらに普及していった時、ボロ市の再評価というテーマが浮かびあがってくることがあるかも知れない。市民活動としての不用品市・リサイクル市などのイベント行事も、いまやいろいろな所で普通に見られるようになってきている。そういう方向でのボロ市の復活・再生、活性化と現代化への動きが出てくるとしたならば、何と素晴らしいことではないであろうか。ボロ市の将来を、そこに見い出していくことができるのではないか、と筆者などは考えるのであるが、どうであろう。皆さんのご意見を、ぜひ聞かせていただきたい。

[付記]
本稿は練馬区立関町図書館の主催によって開催された、歴史講演会における筆者の講演内容を筆記したものである。講演は「関のぼろ市―その歴史と魅力―」と題し、2018年11月25日(日)に東京都練馬区関町南3-11-2の関町図書館視聴覚室においておこなわれた。講演にあたっては、同館司書の中村亜紗子氏より多大なご協力をいただいた。また、練馬区総務部情報公開課(区民情報ひろば)からは古写真を提供していただいたので、ここに記して感謝申し上げる次第である。
引用文献
北見俊夫,1970『市と行商の民俗』,岩崎美術社.
北見俊夫,1976「交易と交通」『日本民俗学講座』Vol.5,朝倉書店.
小寺廣吉,1959「商業」『日本民俗学大系』Vol.5,平凡社.
最上孝敬,1983『生業の民俗』,岩崎美術社.
森 銑三,1969『明治東京逸聞史』Vol.1,平凡社.
長沢利明,1989『東京の民間信仰』,三弥井書店.
長沢利明,1999『江戸東京の年中行事』,三弥井書店.
長沢利明,2002「江戸東京歳時記をあるく―第1回・ベッタラ市とエビス講―」『柏書房ホームページ』2002年10月号,柏書房.
長沢利明,2003「江戸東京歳時記をあるく―第15回・浅草の羽子板市―」『柏書房ホームページ』2003年11月号,柏書房.
長沢利明,2004a「江戸東京歳時記をあるく―第22回・月島の草市―」『柏書房ホームページ』2004年7月号,柏書房.
長沢利明,2004b「江戸東京歳時記をあるく―第26回・花畑の酉の市―」『柏書房ホームページ』2004年11月号,柏書房.
長沢利明,2004c「江戸東京歳時記をあるく―第27回・薬研堀不動尊の歳の市―」『柏書房ホームページ』2004年12月号,柏書房.
長沢利明,2005a「江戸東京歳時記をあるく―第30回・十軒店の雛市―」『柏書房ホームページ』2005年3月号,柏書房.
長沢利明,2005b「江戸東京歳時記をあるく―第33回・お富士さんの植木市―」『柏書房ホームページ』2005年6月号,柏書房.
長沢利明,2006a「江戸東京歳時記をあるく―第40回・拝島大師のダルマ市―」『柏書房ホームページ』2006年1月号,柏書房.
長沢利明,2006b「江戸東京歳時記をあるく―第41回・王子稲荷の凧市―」『柏書房ホームページ』2006年2月号,柏書房.
長沢利明,2006c「江戸東京歳時記をあるく―第46回・浅草寺の四万六千日とホオズキ市―」『柏書房ホームページ』2006年7月号,柏書房.
長沢利明,2006d「江戸東京歳時記をあるく―第48回・芝大神宮のだらだら祭り―」『柏書房ホームページ』2006年9月号,柏書房.
長沢利明,2006e「江戸東京歳時記をあるく―第50回・芝大神宮のだらだら祭り―」『柏書房ホームページ』2006年11月号,柏書房.
長沢利明,2006f「江戸東京歳時記をあるく―第51回・大国魂神社の晦日市―」『柏書房ホームページ』2006年12月号,柏書房.
長沢利明,2007「江戸東京歳時記をあるく―第54回・深大寺のダルマ市―」『柏書房ホームページ』2007年2月号,柏書房.
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長沢利明,2017「江戸東京歳時記をたずねて(8)―関のボロ市―」『西郊民俗談話会ホームページ』2017年12月号,西郊民俗談話会.
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練馬区地域文化部文化・生涯学習課伝統文化係(編),2017「井口家文書『関のぼろ市』に関わる文書」『ねりまの文化財』101,練馬区教育委員会.
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高橋源一郎,1972『武蔵野歴史地理』Vol.6,有峰書店.
坪内逍遥,1937『当世書生気質』,岩波書店.
 
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